「命を取るか、仕事を取るか」〜家族、職員、顧問先――大切な人を守り抜くための人生の選択〜


鶴田勇治税理士事務所
鶴田 勇治先生 / 66歳
開業年数 | 26年 |
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顧問先件数 | 170件 |
職員数 | 4名 |

税理士法人熊代事務所
熊代 克己先生 / 76歳
開業年数 | 38年 |
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顧問先件数 | 1,500件 |
職員数 | 90名 |
仙台を拠点とする鶴田勇治税理士事務所。多くの顧問先を抱えていたが、所長の鶴田氏は自身の入院を機に未来と向き合い始めた。職員・顧問先を守るために未来を託したのは、東京を拠点とする税理士法人熊代事務所だった。取材では、その道のりと思いをうかがった。
「命」と「仕事」が天秤にかけられたとき

――まずは、M&Aをお考えになったきっかけを教えてください。
鶴田: 2022年の5月、繁忙期の最中に体調を崩して3週間ほど入院しました。何日も高熱が続き、医師から「命を取るか、仕事を取るか」と問われ、本当に追い詰められました。入院中とはいえ業務を止めるわけにはいかず、顧問先や職員を混乱させてしまったと思います。「自分が不在だと現場が回らなくなる」と実感しました。「このままじゃいけない」、「自分が突然いなくなったらどうなるのか……」と、日に日に不安が募っていきました。
――退院後、すぐにM&Aを検討されたのですか?
鶴田: 最初からM&Aを選んだわけではありませんでした。まず考えたのは、事務所を税理士法人にすることでした。でも、現実は思った以上に厳しい。世の中の流れとして、後継者になれる資格者を探すのも簡単ではないですし、時間だけが過ぎていき、焦りと不安がますます募っていきました。それでも、なんとか道を探したくて、知り合いの税理士に声をかけ、「一緒に税理士法人になることはできないだろうか」と相談をしたこともありました。でもみんな、それぞれに自分の事務所があって、生活があって、信念がある。そう簡単にはいきません。税務署OBに事務所に入ってもらうことも考えましたが、それだと後継者問題の解決にはなりません。また、M&Aの専門会社ではない方たちから「こちらに事業を任せてもらえないか」と連絡が来ることも懸念していましたが、もしも、士業のM&Aに精通していない人たちに事務所を渡してしまって、長年一緒にやってきた職員や、大切な顧問先がバラバラにされてしまったら……。それだけは絶対に避けたかった。うまくいかなかったケースも耳にしたことがありました。
そんなふうにいろいろと考えたうえで、ようやくM&Aという選択肢に行き着きました。結局それがいちばん安心で、穏やかに未来をつなげる方法だと、ようやく思えました。
仲介会社に相談するのも初めてのことで不安でしたが、士業事務所M&A支援協会さんからいくつかの候補事務所を紹介していただきました。そのなかで、最初に会ったときから「この方達なら大丈夫」と思えたのが、熊代先生の事務所でした。
よく聞かれます。「なんで宮城の事務所が、東京と?」って。でも、私にとっては、場所や規模以上に大事なのは所長先生の人柄でした。20年以上、地元でしっかりと事務所を支えてきた熊代先生。言葉の端々には誠実さが感じられました。お会いしてすぐ、「この人になら託せる」と、そう思えました。
――熊代事務所側の決め手は何だったのでしょうか?
熊代: 「総合力」を強めたいというところでしょうか。もともと宮城にも顧問先を持っていて、土地に愛着がありました。そこに拠点展開できればもっとやれることが増える。あと、採用も有利になると考えました。たとえば採用面接で地方の学生と話すと、「最終的には地元に帰りたい」という人が多くて。私にできることは何だろうと考えたんです。うちにも地方の拠点があれば、東京本社で何年か働いてもらって、Uターンしてもらうこともできるじゃないですか。そういう事務所としての総合力を強めたいと思ったんです。顧問先と職員の幸せを叶えるための決断ですね。
鶴田先生とは、初めててお会いしたときに相性が合うと感じました。会ってすぐに空気感が合うかどうかはとても大切にしています。人と人の相性は、M&Aの成否を分ける要素のひとつだと思います。最初は不安もありましたが、実際に仙台の事務所にうかがい、職員の方々と初めてお会いしたとき、とても感じがよくて安心しました。
――宮城支所との橋渡しは岡部先生が担当されていますが、統合を知ったときはいかがでしたか?
岡部: 事務所が全国的に展開し、拡大していくことは単純に嬉しいと思いました。今回のようにM&Aで支店を展開するようなことがあれば、実務担当として橋渡し役をやるつもりで以前から熊代先生と話していましたので、心構えはありました。東京から距離的には離れているのですが、定期的に顔を出すようにしています。宮城は商圏としてもよい場所だと思います。人も真面目で、環境もよい。私自身、この地域での展開にすごく可能性を感じています。
職員からの花束と手紙で祝福された新たな門出
――発表時、職員や顧問先の反応はいかがでしたか?
鶴田: 2024年の11月、調印式で最終契約をした二日後くらいに職員に発表しました。最初は驚かれましたが、理解してもらえました。待遇も雇用も変わらないと説明したので安心してもらえたのだと思います。その年の仕事納めの日のことは忘れられません。職員から、「新しい門出に」とフラワーアレンジメントにメッセージカードを添えたプレゼントをサプライズでいただききました。今まで一緒に仕事をして良かったと、心より感謝しております。
熊代: 私も鶴田先生の事務所の職員の皆さまからお手紙をいただいて、むしろこちらが感動しました。本当に素晴らしい職員の方たちだと思います。
鶴田: 顧問先にははがきを出したのですが、やはり最初は驚かれました。先ほどもお話しした通り、「どうして東京の事務所と?」という質問が多かったです。でも、きちんと説明すると「今の時代、場所は関係ないですね」と皆さん納得していただけました。今のところ、M&Aを理由にした顧問先の離脱は一件もありません。
生涯現役で働くことは周りを幸せにするのか

――今後のビジョンをぜひ教えてください。
鶴田: 熊代先生の事務所と一緒になったことで、経理や労務、採用や育成の仕組みなど含めてすべて見直しが進み、よい意味で自分自身もリセットできた感覚です。一緒に支えてくれていた妻の負担も減らすことができました。
妻にもよく言われるのですが、この年齢になると、「あと何年仕事ができるのか」を考えるようになるんですよね。「これから2人で何ができるのか?」って。土日まで無我夢中で働いて、ふと振り返って、そこに何が残っているのだろうかと考えたときに、楽しい思い出がないのはやっぱり寂しい。何かあってから、「遅かった……」と後悔したくないと思うようになりました。だから、M&Aをして、ゆっくり家族との時間をつくれるようになってよかったと思っています。私も当初は生涯現役で働くつもりでいましたが、今となってはこの選択が正しかったと思います。
――熊代先生のビジョンもぜひ教えてください。
熊代: M&Aそのものは、まだ完全に終わったわけではありません。いまはまさに、その真っただ中。引き継ぎの最中であり、ここからの一歩一歩が、とても重要な意味を持っています。鶴田先生と丁寧に相談を重ねながら、どの選択肢がよいのかを、一つひとつ確かめていく。まずは、「これでよかった」と胸を張って言える形にすること。それが今の目標です。実は、次の所長もすでに決まっています。私の役割はこれから「会長」としての立場へ移ります。会長としてやるべきことは明確です。事務所の舵を取り、人材を迎え入れ、育てること。それが、これからの私の仕事です。後に残る職員たちが、安心して、長く、そして誇りを持って働ける環境を整えておきたい。それが今、私が心のなかでいちばん強く願っていることです。
――最後に、M&Aを検討している、悩まれている先生方へメッセージをお願いします。
鶴田: 「何かあってから」では遅いです。私は体調を崩したからこそ決断できたとも言えますが、もっと元気なうちに準備しておけば、職員にも余計な心配や不安をかけずに済んだと思います。体調を崩してからでは、気力も判断力も落ちがちですし、事務所の価値や信頼にも影響を与えてしまうリスクがあります。M&Aは「未来を創るための決断」であり、事務所や職員、顧問先の将来を守る選択肢でもあります。不安はもちろんありましたが、今では本当に
やってよかったと心から思っています。迷っている先生がいらっしゃれば、私の体験談が少しでも参考になれば嬉しいです。